フリーランス医師って、なんかカッコイイし憧れるね!
そもそもなんで、フリーランス医師になったのかな?
こんな疑問に対する個人的な回答をする記事です。
✅ 専門科目:泌尿器科
✅ 家族:妻と年子2人(一姫二太郎:5歳と4歳)
✅ 趣味:読書&ランニング(フルマラソン26回完走)
✅ マラソン自己ベスト:2時間51分10秒
✅ 自宅:マイホーム派
✅ 座右の銘:良心に恥じぬことが我々の確かな報酬
私の詳しい経歴について興味がある方は、こちらの記事をご覧ください。
今回の記事の結論です。
僕がフリーランス医師になった本当の理由
- 株式投資
- ランニングやマラソン
に関する記事が続きました。
今回は箸休めの記事になります。
- フリーランス医師に興味がある方
- フリーランス医師へ転向を検討している方
- ブラックな医師の世界をのぞいてみたい方
はぜひ最後までご覧ください。
医学部卒業→初期研修医
北陸で生まれ北陸で育った私。
曾祖母の死をきっかけに、医師を目指すようになったのは小学生の頃。
中学高校と進学校に進み、地元の国立大学医学部に現役合格。
両親には感謝してもしきれません。
その後、北陸を一旦出てみようということで、救急治療が有名な神戸の某病院へ。
- 慣れない一人暮らし
- 異国のような関西文化
- 地獄のような研修医生活
あっという間の2年間でした。
学生の頃から泌尿器志望であり、泌尿器科の後期研修が可能な病院を探していたところ、北陸で唯一医局に属さずとも後期研修が可能な病院を発見。
アウトローな生き方が性に合っている私にぴったりな雰囲気であり、1日見学してほぼ内定を得ました。
初期研修医→泌尿器科後期研修医(入局せず)
関西から地元北陸へ戻り、A病院で泌尿器科医としてのスタートをきります。
インデックス投資をしていることを忘れるほど毎日忙しく過ごすが、
- 泌尿器科専門医および指導医
の資格を無事に取得。
さらに、
- 腹腔鏡技術認定医
- ダビンチ手術資格
- がん治療認定医
等の資格も順調に取得。
国際学会(ポスター発表のみですが)への参加も数回経験しました。
医師としての成長が一番の収穫と言いたいところですが、何よりの収穫は妻との出会いでしたね。
結局A病院で10年近く過ごすことになり、このまま上司の後を継いで地域医療に貢献しようという考えも当時はもっていました。
意図せぬ勤務先異動かつ入局
ある日突然、上司に呼ばれました。
なんか悪いことをしたかなぁと不安に思いながら、上司の前に座ると、思いもせぬ異動の話。
近隣のB病院がダヴィンチを導入したが、ダヴィンチを稼動させる条件(泌尿器科専門医の常勤が2人必要)を満たしていないことを、導入してから気がついたと。
そこで、私に白羽の矢が立ちました。
その場では一旦考えさせてくださいと返答しました。
しかし、冷静に考えてみて、数億円の医療機器を購入するにあたって、計画性のないことをするB病院、医師を信頼できるわけがありません。
後日、お断りの返事を上司に伝えました。
しかし、ここでまさかの出来事が起こります。
このまま異動せずに残留するならば、今後手術をさせないと上司から通達。
理由としては、
- 私の診療態度(患者さん、医療スタッフなど)が悪い
- 周りから評判が落ちている
とのこと。
なおかつ、異動にあたりC大学への入局が必要との旨。
この10年間医局に属せず、自分の努力(上司のおかげもありますが、それなりにしたつもりです)でなんとかしてきたつもりです。
しかし、またここでも予期せぬ一言が上司から。
- 入局していないと北陸で泌尿器科医として働いていけない
とのこと。
10年近く医局に属さず働いた部下に、この後に及んで何を言い出すのでしょうか。
私のメンタルがガタガタと崩れはじめた瞬間です。
精神崩壊
現職場もやめ、新しい職場にもつかず、フリーランスになろうとも思いましたが、最終的にはC大学医局へ入局しB病院へ異動しました。
12月末という忙しい時期にもかかわらず、私の送別会には多くの先生方が集まってくれました。
また、別個に看護師さんが送別会をいくつか開いてくれました。
私は本当に嫌われていたのでしょうか?
患者さんから悪い評判を受けていたのでしょうか?
異動するにあたり、いくつかの条件を先方にお願いしました。
- オンコールは平等にして頂く
- ダヴィンチの執刀をさせて頂く
などです。
異動後、ダヴィンチ手術は全例上司が執刀しましたが、正直あまり上達しません。
私は自分の腕が落ちぬよう、昼ご飯を5分以内にすませ、昼休憩中にダヴィンチのシュミレーターで訓練する毎日。
腕が落ちぬよう努力するのは外科医として当たり前です。
ところが、上司は全く練習している様子なし。
仕事が早く終わると、公務員なのに定刻より早く自宅へ帰る始末。
オンコールは平等に振り分けとの約束でしたが、上司に電話がつながらないとのことで、ほぼ毎日私がオンコール状態。
ひどいときは、夜中の2時に呼ばれ、1時間かけて自宅へ朝の5時に戻り、朝食の準備を済ませ、また1時間かけて病院へ行くという日が連続。
小さな子ども2人と共働きの妻がいる状況で、単身赴任は不可能です。
さらにストレスはかかり続けます。
- 理解できない上司の治療方針に服従させられる
- 「〇〇ちゃん」と呼ばれ、人として見下されている感満載
このような日常を繰り返しているうちに、
- 通勤中に青空が灰色に見える
- 気がついたら自然に涙が出る
- 上司をみたら吐気を催す
といった症状が出始めました。
私にとどめをさしたのは、看護師さんが私に教えてくれた上司の一言。
いつまでたってもダヴィンチ手術を上司だけが執刀するので、手術室の看護師さんが上司に「〇〇先生(私)にはダヴィンチさせないのですか?」と聞いたそうです。
その返答が、「俺がこの病院にいるうちは、〇〇(私)にはダヴィンチは絶対にさせない」とのこと。
もう心がぐしゃぐしゃになりました。
様子を見かねた妻が、妻の地元の精神科に私を連れていきました。
精神科疾患の診断をうけ、診断書をもらい職場に提出。
提出したその日から休職しました。
退局かつフリーランス医師へ
休職し自宅で療養中、B病院へ復帰しないかとC大学医局の教授から連絡が。
理由としては、教授の立場的な問題とのこと。
私がやめれば、B病院でダヴィンチ手術は継続不可能となります。
B病院にとっては経営上も大打撃です。
全ての医局がそうではないと思いますが、
- 医局にとって医局員は結局道具に過ぎない
と痛感しました。
妻とも相談し、C大学医局を退局し、B病院もやめフリーランス医師になりました。
現在はフリーランス医師として働きながら、開業に向けて毎日準備をしているところです。
まとめ
まとめにはいります。
人生何が起こるか分かりません。
結果的には、クリニック開業という道が開けたので、人間万事塞翁が馬といったところです。
最近読んだ「夢をかなえるゾウ0」にこのようなフレーズがありました。
過去の出来事を「伏線」ととらえ希望を持ち続ける
ただし、心が壊れるほど今の苦しい状況を我慢してはいけません。
結果的に私は何とか復活できましたが、「逃げるが勝ち」という言葉もあります。
一番大切な今をもっともっと大切にして過ごしましょう。
今日も最後までありがとうございました。
【おすすめ書籍】
数多ある自己啓発本の中で、「夢をかなえるゾウシリーズ」は読みやすいだけではなく心が温まりますね。個人的には初版と最新刊がおすすめです。
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