今回の記事は、私自身の備忘録という意味合いが大きいです。
しかし、この記事を通して、読者の方が地震や災害の恐ろしさを知り、いざ災害が起こった際に冷静に行動ができるようになる一助になれば幸いです。
能登半島地震が起きたその日|考えたことと行動したこと
令和6年1月1日午後4時頃。
私がランニングから帰ってきた矢先、突然の揺れが始まりました。
私を含め家族はみなパニック状態。
6歳と5歳の子供も泣き出し、ブルブル震えながら机の下に隠れこみます。
ガタガタと大きな音を立てながら、崩れ落ちてくる家具や食器類。
幸い誰もケガをすることなく、揺れが落ち着きました。
しばらく様子をうかがって揺れが止まったことを確認し、着の身着のまま外へ脱出。
その際、ドアは開けっ放しでガスの元栓は止めました。
正直かなり動揺してはいましたが、子供たちを不安にさせまいという思いが、冷静さを保つ原動力になりました。
子供をだき抱えがらら、スマホで情報を集めます。
信憑性に難はありますが、情報の速さはSNSが一番ということでXのポストを確認。
能登半島沖で震度7の地震が発生したこと、そして津波がやってくる可能性が高いという情報を確認しました。
最寄りの避難場所が娘の通う小学校ということで、揺れが落ち着いている隙を狙って、避難用バッグや食料および水分を登山用リュックに詰め込み、家族4人で小学校まで歩いて移動します。
小学校の体育館と校舎4階スペースが避難場所となっており、すでに多くの方が避難されていました。
子供の友人も避難しており、子供たちも少し安堵した表情になります。
さらに情報収集のため、スマホにかじりつきます。
こういうとき、スマホは本当に便利だなぁとつくづく感じますね。
津波の高さや到着時間の予測などが情報として流れてきますが、震源地近くの能登の状態が全く入ってきません。
しばらくして、私が住む地域の港に70cmの津波が到着したという一報を確認。
揺れは断続的には続いてはいましたが、ピークを過ぎた印象もあり、一旦帰宅して様子をみる方針としました。
その時既に20時頃。
何も食べずお腹ぺこぺこでへとへとに疲れ切った子供たちと共に、自宅1階の畳間に布団を敷いて一夜を過ごすことに。
子供たちを寝かしつけてから、ネットやSNSで情報収集を継続しましたが、詳しい情報は結局得られず。
不安を抱えたまま寝付けず、地震翌日を迎えました。
1月2日になり、地震規模や被害状況が徐々に明るみになってきました。
そして、日本全国のみならず海外からも能登半島への支援が開始されていることも知りました。
この記事を書いているのが、1月2日の夜。
被害状況が徐々に拡大しており、まだまだ不安な日々を過ごしそうです。
考えたこと
いざ大きな地震を身をもって経験して考えたことです。
一つ目は、大人も不安ですが、大人以上に子供がもっと不安を感じているということ。
私の子供は6歳と5歳ですが、少し揺れが起こる度、そして地震警報が鳴る度に、ブルブル震え泣き出し「早く逃げよう逃げよう」と叫び出します。
このような時に、大人がどのような態度を示し行動を起こすか。
それによって、子供たちのトラウマの大きさも変わってくるのかなぁと考えました。
「大丈夫、大丈夫。パパとママが守るから。」
「ご飯も水分もたくさんあるし、逃げる場所もすぐ近くだから大丈夫。」
という声がけを、手をつなぎそして抱きしめながら繰り返しました。
2つ目に考えたこと。
ありきたりではありますが、常日頃から最悪の事態もある程度想定しておくこと。
防災バックは準備していましたが、非常食や水分は自宅2階に待機させていたので、家屋が倒壊するほどの大きな地震がいきなり来たら、おそらく食料や水分を持たぬまま避難することになっていたでしょう。
忘れた頃にやってくるのが災害。
3つ目は、当たり前の毎日は決して当たり前ではないということ。
平穏な日々こそ何よりも愛おしい存在であること。
一度きりの人生。
二度と戻ってこない今この瞬間と今日という日を、もっともっと大切に丁寧に過ごしたいものですね。
行動したこと
とりあえず行動したことは、募金です。
今までも震災などに対する募金はしていましたが、今回の募金は個人的には意味合いが異なります。
私が心から愛する地元石川県の能登半島。
和倉万葉マラソンでも何度も訪れましたし、家族で温泉旅行や水族館へも行き、非常に思い入れの強い場所でもあります。
その愛しい場所が、地震によって壊滅的な状態になっている様を想像すると、胸が苦しくてなりません。
現地に駆けつけて、少しでも役に立てることがあればやりたいところです。
しかし、私自身は家族を守ることが最優先にすべきと考えました。
ですので、募金という形で間接的にではありますが被災された地域の方々へ少しでも支援できればと考え即座に募金しました。
募金したというと、偽善活動などと言われる方もいるかと思われます。
別に私はなんと言われようとも構いません。
募金したお金で、能登半島の方々が一秒でも早く普段の日常を取り返すことに繋がればという思いだけです。
続いて行動したことは、能登産のワインとお酒を購入しました。
無事に復興されたときのお祝い用ですので、開栓はしていません。
今後も折りにふれて、能登で生産されたモノを積極的に選んで購入していきます。
まとめ
能登半島地震から1日経った今、地元民の一人が考え行動したことをまとめました。
ありきたりではありますが、いつ何時災害が起こっても大丈夫なように備えをしておくということ、そして被災した地域の方を応援すべく適切な範囲で経済活動を行うこと。
最後になりますが、日本全国のみならず世界各国から地元石川県のために駆けつけ支援してくださっている方々、募金をしてくださった方々に深く御礼いたします。
今日も最後までありがとうございました。